悩みは繰り返され、蒸し返され、人の心を蝕む

悩みのない人はほぼいないはずですし、いわばその状態があるのは当たり前だと言えます。

古来から人の悩みはだいたい同じだし、先哲はだいたいそれに対しての”処方箋”をすでに説いていたんだ、というコンセプトのこの本、非常に参考になります。

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皆さん、何らかの悩みで日々思い悩むこともがあるかと思います。

 

ただ、ワイルコーネル医科大学のロバート・L・リーヒらが行った調査では心配事の97%の事は実際には起こらないという調査結果がでています。

 

いささか乱暴に言ってしまうと、私たちが思い悩むことの大半、いやほとんどは取り越し苦労だということです。

 

人の心の中では、今ある悩みがぐるぐると回り続け繰り返され、頭にすり込まれ、それが心を蝕んでいきます。取り越し苦労に過ぎないようなことでも何度も思いだし、それによって、心のクセが形成されます。そして事あるごとに脊髄反射のように同じ感情に戻されてしまいます。

 

これではまさに、”感情の奴隷”状態です。

 

仏教ではこれを妄念と言います。実際は有りもしない事実を脳内で作り上げてしまい、その”見えざる敵”に一人で戦いそして敗れ、疲弊している状態です。

 

一度”抱えているもの”を精査が必要です。そんなに毎日毎日考える必要があることなのか。その感情を持ち続け、振り回されることで失われているものがないか、思いをはせる時間が必要かも知れません。

人から教わる。ものから教わる。

刀鍛冶の山本兼一さんは、教育には2種類あると言われています。

・「人から」教わる

・「ものから」教わる  この2種類。

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学校での教育は「人から教わる」要素が多いので、価値観が多様化する中、色々と問題が出ているのではないかということです。

 

職人の世界では「ものから教わる」ことはごく当たり前のこと。

 

宮大工の小川三男さんがおっしゃっていた事として、薬師寺の西塔を再建するとき、技術はもうなくなっていた。けれど東塔が残っていたから、再建できたとのことです。

 

時を超えてそこに存在する「もの」、先人によって練り上げられた「もの」が自然と人を育てる。その機能に再注目すると、身の回りの「もの」の価値も再認識できるし、そこから学ぼうとする姿勢も育つのではないだろうか。

人生は長くなったが、人の思考は短期志向になった

寿命が延び、人の一生は確かに長くなったが、人の思考はかつていないほど短期思考になってしまったという話を聞きました。

 

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我々は、スマホの通知に振り回され、日々せわしなく生きています。

 

ビジネスにおいても、10年後、20年後のプランを描いて…ということは最近、すっかり言われなくなったみたいだ。VUCAといわれる時代、そんな先のことはわからないし、計画してもその通りにならないから。

 

せめて神社仏閣など、悠久の時を思わせるような空間に入ったときぐらいは、短期的な思考から抜け出し、自他の生命やあり方について、長い視点で考えられたらなあ、と思う。

 

蓮如上人はこれを「後生の一大事」と言った。自分の存在や生命がどこに向かっているのかと考えられるようなゆとりを持ちたい。